とある社員の御意見番(独り言)

時事問題等についてコメントします

【体験談】東日本大震災

間が空きましたが更新します。
もうすぐ東日本大震災から8年が経過致します。
復興は進んでいるように見えますが、あまり注目されない地域や福島県沿岸部では未だに時が止まってように思えます。
初期対応が悪くその後の判断や対応も遅いため、復興で元の場所に戻る人が少ないようですね。



さて、今回はあの東日本大震災の時について体験談について書いていこうと思います。
幸い、私の周りでは大きな直接的な被害はありませんでしたが…
2011年3月11日金曜日の午後2時過ぎ(正確には14時46分18秒)に地震が発生しました。

この時は手続きの準備の為、コンビニに行きその帰りでの被災となりました。ブロック塀の傍を歩いていた時に地震が起きたので、急いで離れるとともに車もきていなかったので交差点の真ん中(住宅地)に移動して建物等の倒壊から免れようとしました。
宮城県では30年に一度に宮城県沖地震が来ると聞いていたのでその宮城県沖地震が来たのかと思いましたが、長い揺れが収まった後に辺りを見渡すと目立った建物の被害は無さそうに見えましたので不思議な気持ちになりつつ、先ほどまで歩いていた所はブロック塀が倒壊している事に気付きました(危なかった…)。
幸いな事に家族も無事で戻ってきたので余震も警戒しつつ自宅へと戻り、簡単に被害状況を確認して断水前に水を貯めるという事で風呂や洗面台等にできるだけの水を貯め、最低限の物を持って高台へと避難しました。携帯のワンセグでニュースを見ると津波の映像が…
こうして津波の映像を見るのは初めてで人や車、思い出の場所等が次々と流される様子は今でも目に焼き付いています。
状況を確認する為に避難場所となっている近くの避難所の小学校へ移動して、そのまま一夜を過ごす事になりました(まさかこんな形で母校を訪れる日が来るとは…)。親戚の無事も確認しつつ、友達等に連絡すると送られてきたのは津波の映像。ここでようやく本当に近くまで来ているのだと実感しました。避難所もいっぱいだったので、車に泊まりましたがあの時の星空はまるでプラネタリウムを見るようにきれいではっきりと見えました。

翌日、自宅の様子を再度確認する為に帰宅して、大きな被害も無さそうなのでこのまま自宅で被災生活をする事になりましたが、電気・ガス・水道とすべて遮断された状況でニュースでは沿岸部の被害状況が徐々に取り上げられ、言葉を失いました。
ただ、ここで1つ問題が…。さて、困った食べ物がない。自転車で辺りを散策しつつ、たまたま近くのスーパーが停電で自然解凍されたお魚を調理してくれ、売っていたので購入して何とか食べ物をゲット。このような生活をしばらく続ける事になりました。
自宅から1km位の所まで津波が来ていたし、食べ物を得るためにコンビニを何件もはしごして(大手スーパーは購入制限と多くの人でなかなか買えず、そしてコンビニだと不定期で開店してあるものを買えるので)、給水車から飲料水を得て過ごす日々…。
津波の直接的な被害はなかったものの生きる事の大変さ、当たり前の生活のありがたさを実感できたと思います。



近所の人等と協力しながら被災生活を続けていき、ライフラインも復旧していくなかで、いろいろな話を聞きました。
・屋上等にお客様を避難させたら、津波が引いた頃にお店の貴金属が盗まれた
朝鮮人津波で流された遺体の指を切って、指輪等を盗んでいる
・近くの流されたレンタルビデオ屋付近から落ちているゲームソフト等を○○高校の生徒が盗んでいる
・港付近の倉庫等からカップ麺やビールが流されていて、被災者が拾っている
・被災した車からガソリンを盗む人がいる
等々…
他にもチェーンメールが流れてきたり、情報が錯綜していました。
聞いた中には本当の事もあるでしょうが、こういう状況でデマを流す人ってどういう神経なんだろうなと疑いますね。

さて、ここで注目したのは2つあります。
1つは近所の人との助け合いです。お互いに限界の状況でありながら、協力し合いお互いを助ける。
日本人は本当に素晴らしいと思いました。中には津波で浸水した地域を水上バイクで助けた人強者もいるようです。
これを聞いた時、日本がますます好きになりました。
2つ目は朝鮮人のお話です。※聞いた話をそのまま書いたので差別的な意図はありません。
話自体は噂話程度で聞いておりますが、こういう噂が流れるという事はあまり日本人からよく思われていないという事だと思います。
距離は近いのに心は遠い国なのでしょう。いまだに問題を起こし続けるからそんな噂も流れるのですね。

以上、長々と書きましたが、未だに復興していない沿岸部地域を見ていると心が痛みます。
何かできる事はないかとたまに募金等もしつつ、東日本大震災の復興に尽力して力を分け与えてくれた羽生結弦選手やサンドウィッチマン東北楽天ゴールデンイーグルスの皆様に感謝しています。
災害大国日本。いつどこで地震津波等の災害が起きるかわかりません。いつかの災害に備えて落ち着いて行動できるように心掛けて、どこかで災害があれば支援の手を差し伸べるそんな人間になりたいと思います。